2017年5月10日水曜日

Genius 3 Lesson 3 本文和訳

part1

ヨーゲン・トランバーグは、完全な農家のように見える。汚れた青いオーバーオール、しわのよったTシャツ、風雨にさらされた顔立ち。トランバーグは、サムソ島という、およそ沖縄の10分の1、114㎢の大きさのデンマークの島で農業を行っている。その島は、長い間、美味しいイチゴで知られており、ヨーロッパ中の人々が初夏に摘みにやってくる。また、新ジャガの早採りでも知られており、その新ジャガは珍味とされている。それに、酪農と養豚でも知られている。この場所は、歴史も古い。バイキングが、ここで船を作ったり、運河を建設したりした。


ここ10年かそこらの間、サムソ島は、ありそうにもない社会的な運動の場所になっている。1990年代後半にそれが始まったとき、島の4300人の住民は、エネルギーに対する保守的な態度と呼ばれるであろうものを持っていた。つまり、その運動は島にやってき続けてはいたが、住民は、それに対して大した興味を持っていなかったのだ。ほとんどのサムソ島住民は、石油で家を暖めており、その石油は石油タンカーで運ばれてきた。彼らは、ケーブルによって本島から輸入した電気を使っており、そのほとんどは石炭を燃やして生み出されるものだった。結果として、サムソ島住民はみな、平均して年間、約11トンの二酸化炭素を大気中に排出していた。


そのとき、これは非常に計画的になされたことであるが、サムソ島の住民は、トランバーグを筆頭にして、この状況を変えることを始めた。2001年までには、サムソ島の化石燃料の使用は、半分になっていた。2003年までには、電気を輸入する代わりに島は輸出を始め、2005年までには、再生可能資源から、使っているよりも多くのエネルギーを生み出していた。エネルギー革命を完成して、サムソ島は今やデンマークの環境保護のシンボルになっている。


part2


変化のしるしは、島のいたるところにある。何十もの様々な大きさの風車が風景の中に点在し、ソーラーパネル付きの屋根の家があり、長い列を作る大きなタービンが、島の南岸で回っている。島の人々の頑丈なレンガ作りの家は今や、野を覆うように連なったソーラーパネルか、もしくは藁のような必要のないバイオマスを燃やす発電機によって電気を送られた温水システムによって暖められている。


これらの冒険的な試みのどれもが、大手のエネルギー企業の出資を受けていない。それぞれの発電機は、地元の人々の集まりか、個人の島民によって所有されている。サムソの革命は、自分たちで決定してなしたことだったし、今もそうである。それは、島民が、快適なライフスタイルを維持する一方で、二酸化炭素の排出によって引き起こされる気候変化を緩和するためにすることができることを示そうと決めた過程である。


ヨーゲン・トランバーグのことを考えてみよう。彼はめったに事業家のように見えることはないが、実際はそうである。かぼちゃとじゃがいも畑を別にすると、150頭の牛ももちろんのこととして、彼は農場に大きな1メガワットの風車を立てた。トランバーグはまた、さらに大きな2.3メガワットの発電機の権利を半分持っている。その発電機はデンマークの電気のかなりの量を供給する南岸沿いの巨大なタービンの一つである。それは特筆すべき転換であり、サムソ島民自身によってなされたものなのである。たとえそれが、デンマーク政府やEUの助けを借りたものだとしても。


「それは非常によい投資でした」とトランバーグは認めている。「しかし、わたしたちの誰もお金のためだけにしているわけではありません。それが楽しくて気分がよくなるから、やっているのです」


part3


それは、デンマーク政府による1997年のある実験から全てが始まった。サムソ島を含めた4つの島々が、ユトランドの地域はもちろんのこととして、二酸化炭素排出量を削減し、再生可能なエネルギーの発電を促進するための最善のプランを考えて、競うよう求められた。サムソ島が勝利した。サムソ島は、行政とエネルギー工学における実験をするために、小じんまりとしており理想的である。島は低地にあり、風が吹いている。旗はサムソ島ではたれたことがない。


実験を立ち上げるという仕事は、あらゆる再生可能なものに非常に興味を持っている元環境学の教師であるゾーレン・ヘルマンセンに託された。ヘルマンセンが現在誇りを持っている成功を成し遂げることは、簡単な問題ではなかった。「保守的な感情からくるためらいがあったのです。隣近所の人間がまず動くのを待つというような」と彼は思い出す。「わたしはその島のことを知っていますし、これは普通に起こることです」 互いのすることに興味を向けるという島民の傾向に抵抗するのではなく、ヘルマンセンはその傾向とともに活動しようとした。


地元の問題を話し合う集まりがあるときはいつでも、それがどんな問題であれ、ヘルマンセンは参加して、説得した。彼はサムソ島住民にみんなが誇りに思えることについて共同で活動することがどのようなものになるか、考えるよう頼んだ。ときに、彼は無料のビールを会議の場に持ち込んだ。彼はまた、島民の意見をまとめる主導的な立場の人の支援を募るよう努めた。ついに、ヘルマンセンが希望した程度に、計画を押しとどめていた社会的力が、彼の思う通りに働き始めた。より多くの人々が参加すればするほど、それは他の人間に参加することを駆り立てた。しばらくして、非常に多くのサムソ島民が参加していたので、参加することが普通になった。


part4


ついに、最初の計画が立ち上げられた。それは、西の海岸に二三のタービンと加熱プラントを作ることだった。「何事も、議論と共同体の参加なしには成し遂げられなかったでしょう」とヘルマンセンは言う。


しかし、全ての共同体がサムソ島ほど団結力があるわけではないし、その島の変化が、およそ4億2千万クローナー、日本円にして80億円ほどの代償を払っていることは、注意されなければならない。そのお金には、デンマーク政府、EU、地元の起業家、そして個人からのものも含まれている。そのようにして、サムソ島の革命は、島民一人につき200万円の負担を課した。それに日本の人口である1億2千800万をかけると、その金額は、250兆円以上に達する。その金額が、日本に同様の革命をもたらす費用なのである。それはもちろん全く非現実的なものであり、ヘルマンセンが嬉しく認めている点である。


「わたしたちは全世界に何ができるかということを示しました。人々は、もっと控え目でなおかつ意味のある二酸化炭素削減をなすために、わたしたちがしたことから好きなところだけを学んでいくべきです。わたしたちが示した重要な点は、もし変化を起こしたいなら、共同体のレベルから始める必要があるということです。わたしたちはいつも、世界規模で物事を考え、地元で動くべきであると聞いています。わたしなら、『地元レベルで考え、地元で動こう』と言うでしょう」


今日、島のどこにいっても、ヘルマンセンのような再生エネルギーに熱心な人を見る。それは、サムソ島の生きた教訓なのだ。ここで起こったことは技術上のではなく社会上の革命なのである。実際に、それは、単に現に存在していつでも入手可能な再生エネルギー技術が使われることになっていた1997年の実験の特定の必要条件だった。実際の変化は、人々の姿勢の変化だったのだ。